君が涙を流すなら

KAT-TUNと7 MEN 侍とか

「私のために書かれた本」に出会いたい

何かの役に立てるために読書してるんじゃない!読書は趣味だ!!娯楽だ!!!
という派閥の私ですら、社会人●年目ともなると読んだ本の数に占めるビジネス書やら実用書やらの割合が増えてきている。

もちろん学ぶところはたくさんあって、明日の私のためになりそうだなぁと思うことは多々あれど、でもやっぱそういう読書ばっかりしてると、「私は!本能の赴くままに本を読みたい!!」となる瞬間があって。

身体にいいもの食べてたらジャンクフード食べたくなる、とはちょっと違うかな。ちゃんと栄養管理された外食ばっかしてると、お母さんがもりもり作ってくれた好物ばっかり食べたくなるよな、みたいな?

よくわかんないですが、とにかく「私のために書いてあるこの本!わあ!」という感動を味わいたくって本屋でそういう本ばっか探して買って読みました、という日記です。だって誕生日だし!!!

 

 

池松舞『野球短歌 さっきまでセ界が全滅したことを私はぜんぜん知らなかった』

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「いつまでたっても阪神が勝たないから、短歌を作ることにしました。」

という一文から始まる、2022年の阪神の全試合を詠んだ歌集。

もちろん著者は阪神ファン広島ファンの私には具体的な選手名に込められた感情を百二十パーセントは理解できないけれど、それでも勝って浮かれ負けて落ち込み時折我に返る、そんな感情の起伏は身近なもの。

その中でも印象深かったのが以下の歌たちでした。

サードから本塁までが遠すぎて半日かけてもたどりつけない 

わたくしがピッチャーだったら旅に出る「みんなが打つまで帰りません」

シャッターがぜんぶ下りてる夜の道に似てる打線を知っていますか

どうしてだろう、特に印象深い歌に付箋をつけたら、軒並みみんな負けたとき(しかも打てなかったとき!)の歌なのだ。

何も私が「阪神ざまあみろ!」と思ってのことではない。心の底から「わかる~!!」と感じているのです。

でもやっぱり、阪神が勝って浮かれた歌にはいまいち共感しきれていないという面もあるんだろうな。

そう思うと、悲しみや憤りという負の感情の方が、ひょっとしたら普遍的な何かをもっているのかもしれない。なーんて、常勝集団応援してたら違うのかもな!!

人間は野球ひとつで気が狂うたとえばこうして短歌詠んだり

ときどき、何でこんなに一喜一憂してるんだろうなって我に返る瞬間もあるけど(主に負けが続いているとき)、それでもやっぱり私たちは応援し続けるしかない。あるかないかもわからない、かけがえのないきらめきを求めて。

そんなことを改めて実感した一冊でした。

 

ケン・リュウほか『七月七日』

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私は自分の誕生日が好きだ。覚えてもらいやすいし、何か風流(って友達に言われて「それだ!」とパクった)だし。

そんな私の誕生日がタイトルの短編を、大好きなケン・リュウが書いているなんて!!ということで思わず手に取った1冊。日中韓の作家が神話や伝説をモチーフに書いた物語を集めたアンソロジーです。

神話をSFアレンジした話もあれば、種々の神話を丁寧に語りなおした話もあり、いろんな色の物語が読めて楽しかったです。中韓の神話の知識がないので、元ネタがわかったらもっと楽しかったんだろうなぁ~と思うものがいくつもありました。

その中で表題作の「七月七日」は、私にもなじみ深い七夕の物語に入り込む、現代の愛し合う二人の少女の物語。片方が海外留学するために別れを迎えようとしている二人が、七夕の世界に迷い込んで織姫と彦星に出会うことで変化していく、そんな姿が愛おしい。何百年と逢瀬を重ねてきた織姫と彦星の姿もまた。

大好きだった七夕を、ますます好きになれた物語でした。

 

三宅香帆『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない』

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とても好きな書評家の三宅香帆さんの新刊です。

三宅さんの本はいつも、「何で私の悩みがわかるんだろう!?」ってタイトルなんですよね。

もうこの本なんてタイトルからしてじゃないですか!「推しの素晴らしさを語りたいのに『やばい!』しか出てこない」←そうそう!!

自分だけの感想を生み出すためには、他人の感想を見る前に孤独に言語化しなければならない。SNS大好きオタクからすると「くぅ〜!!!」となる教えです。わかる、わかってる、でもできない……

だけど三宅さんはちゃんと、できない私の気持ちもわかって寄り添ってくれるから、あーこの本は私のために書かれたんだなって思えて嬉しいんだ。

 「好き」は儚いからこそ、鮮度の高いうちに言葉で保存しておいた方がいいんです。そして、言葉という真空パックに閉じ込めておく。

 いつかやってくる「好き」じゃなくなる瞬間を見据えて、自分の「好き」を言葉で保存しておく。すると、「好き」の言語化が溜まってゆく。それは気づけば、丸ごと自分の価値観や人生になっているんです。

こうやってブログをちまちま書いているのも、いちばんは、あとで自分が見返したときに「ああこんなに楽しかったな、好きだったな」って思うためなんだよなぁと再確認でいてよかったです。

(余談ですが、三宅さんのこの「好き」は儚い、という気持ち、もちろんアイドルオタクとして共感できるんですが、より強い逼迫感を感じるのは、三宅さんが女子アイドルとか宝塚とか「卒業」のある推しがいる人だからなのかもなぁとちょっと思いました)

 

さて、七夕も終わって七月八日は私の大好きな上田竜也さんの主演舞台「After Life」の初日です。

果たして私は観劇後、SNSを見る前に孤独に感想を記しておくことができるのでしょうか。乞うご期待……!(無理だろうなぁ)